「皆、兵を迅速に熊襲国に送ったお前に感心し、感謝していたぞ」
妹に背を向けたまま、覇夜斗はそう言った。 夕月は声を出さずに、はにかんだように小さく微笑んだ。
「私は不満だったがな」
そう言って振り返った覇夜斗は、腕組みして欄干に背中を預け、彼女を軽く睨んだ。 第一話 あたえし者
いよいよ、今回より最終章が始まります。 もうしばらく、本編と同時に、この「一日一話」の妄想話にもお付き合いいただければありがたいです。 今回は、銅鐸についての妄想を少し語ってみたいと思います。 弥生時代の遺跡からは、銅剣、銅鏡、銅鐸など、様々な銅製品が出土していますが、その中でも銅鐸はかなり謎めいていると感じています。 なぜなら、銅鏡や銅剣はその後も存在し続けるのに、銅鐸は弥生時代の終焉とともに姿を消すからです。 ある日、銅鐸に似たものがお寺の軒先にぶら下がっているのを見て、不思議に思い調べてみたら、それは「風鐸」というもので、風鈴の起源とされるものだということがわかりました。 「銅鐸」という名も、実はこの「風鐸」に形状が似ているから名付けられたものだとか。 また、風鐸はもともと中国で占いに使われていた道具らしく、日本に伝わってからは魔除けのために寺の四隅に取り付けられたともありました。 みなさんご存知のように、弥生時代は大陸から稲作が持ち込まれた時代です。 それなら当然、同時に宗教観や思想なども持ち込まれたはずなのに、その後も呪術による統治が続いていたということに、私は少し疑問を感じていました。 それは、銅鐸が占いの道具であり、倭国固有のものだと思っていたからです。 しかし、中国伝来であったとすると、銅鐸は弥生時代に持ち込まれ、その後仏教の考えの中で、風鐸や梵鐘(ぼんしょう)に変化していったと推察できます。 つまり、銅鏡や銅鐸を使った呪術自体も、弥生時代に大陸から持ち込まれたものだと考えられるのです。 だとすると、仏教が伝来して呪術が廃れたのではなく、弥生時代に伝来した大陸の呪術が、その後新たに入ってきた仏教に塗り替えられたという方が正しいのかもしれません。 そう考えると、日本人としては少し残念な気もしますが、弥生時代の倭国は、大陸によってコントロールされていたのだという思いが、ますます大きくなっていきます。 そう思う材料はこのほかにもいくつかあるのですが、長くなってしまいますので今回はここまでにして、機会があればまた語らせていただこうかと思います。