拙作「ラスト・シャーマン」の中で、主人公月読(つくよみ)は、邪馬台国の女王卑弥呼の弟です。
はてさて、本当に卑弥呼に弟はいたのでしょうか。
いたかどうかと問われれば、魏の歴史書の一部で、当時の倭国(日本)のことを記した「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」の中に「(卑弥呼の)弟が国の支配を補佐した」との記述がありますので、いたであろうことが濃厚。
でも、その弟の名は……というと、残念ながらどこにも記録がありません。
ではなぜ、私が弟の名を月読としたのか。
今回はそのお話をさせていただこうと思います。
ただし、これは私がこの物語を書くにあたって、完全に想像し、こじつけた考えですので、裏付けなどはありません。
あしからずご了承ください。
みなさんは、日本最古の歴史書といわれる「古事記(こじき)」のことはご存知でしょうか?
簡単に説明すれば、もとは神であった天皇家の祖先が天地をつくり、国を治めていく過程を綴った書物です。
神話が多く盛り込まれ、歴史書としては信憑性が薄いともされていますが、これを私は、事実を神話に置き換えた克明な記録だと思っています。
その古事記の登場人物の中に「天照大神(アマテラスオオミカミ)」という女神がいます。
彼女は太陽の神で、男勝りな性格。
そんな彼女を、私は卑弥呼を神格化させたものではないかと推察しています。
卑弥呼は太陽を使って占ったとも言われ、その名は「日の巫女」が語源との説もありますので、それが神格化されて太陽の神となったとしても不思議ではありません。
そんな天照には弟神が二人おり、彼らの名が月読命(ツクヨミノミコト)と須佐之男命(スサノオノミコト)なのです。
私が卑弥呼の弟の名を月読とした理由、もうおわかりですね。
月読命は、中性的な容姿をした美しい神で、一般的には男神とされていますが、はっきりとした性別の記述はないそうです。
そして、姉の天照が太陽の神なら、彼は文字通り月の神とされています。
その昔、海原を航行することを生業(なりわい)としていた海人族(あまぞく)と呼ばれる人たちは、月の満ち欠けで暦(こよみ)を読んだとされ、月読は時を司る神として敬われていました。
その名残で、今も各地に月読を祀った神社が存在します。
一方でこの神は、そんなロマンチックなイメージに似合わず、残酷な一面を持ち合わせていたようで、ある時対面した女神の態度が「汚らわしい」といって、剣で刺し殺したという逸話があったりもします。
そんな美しくも、残虐性を秘めた月読神のキャラクターが、拙作の月読像を作りあげるベースとなっています。
ここで疑問が生まれるのが「月読の弟、須佐之男は誰?」ということかと思いますが、設定上、拙作の中に彼を登場させることはできませんでした。
ただ、私なりに「この人がモデルではないかな」という目星はつけています。
当時邪馬台国と対立していた国「狗奴国(くなこく)」の男王で「卑弥弓呼(ひみここ)」という者がいたと、魏の書物の中に記述があるのです。
この名前、卑弥呼と酷似していると思いませんか?
それだけで結論付けるのはあまりに安直かとは思いますが、彼らがもともと兄弟、もしくは同じ血筋で、決別し、対立していたとしたら……。
乱暴者で手をつけられない性格であったとされる、須佐之男のイメージが卑弥弓呼と重なって見えるのは私だけでしょうか?
とはいえ、結局私は本文の中で、狗奴国王に自らのこの仮説とは異なる設定を持ってきた訳ですが……。
でも、このように、事実はひとつでも、あらゆる角度から当時の状況を想像(妄想?)できるのが、歴史小説を書く醍醐味かなと思っています。
みなさんも一度、そんな妄想世界を広げてみてはいかがですか?