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【一日一話】「ラスト・シャーマン」第三章 第七話 決戦への船出

September 17, 2017

 使者はにやりと笑って見せた後、今回の戦に向けての計画を彼に語って聞かせた。
 その内容に、覇夜斗は途中何度も目を見開き、声を上げそうになった。
 すべてを聞き終えた覇夜斗は、しばらく言葉を失い、落ち着き無くあごに触れていた。

 

「……では、あの噂も意図的に広めたというわけか……」

 

 驚きと興奮の中、ようやく言葉を発した覇夜斗は、ため息混じりに笑った。

 

「面白い。さすが月の神。とうとう月をも動かすか」

 
第七話 決戦への船出
  

 


 

この作品のイメージ画を描くにあたって、私は主に古代中国の漢服を参考にしました。
一般の人たちは、いわゆる貫頭衣を着ていたと思うのですが、それなりの地位にある人間は、中国の影響を受けた衣装を身につけていたのではないかと想像したからです。
人のサガとして、美しい生地や優れたデザインを見れば欲しくなるでしょうし、それが手に入る立場にあれば、取り寄せたり、職人に作らせたりしたと考えたのです。
 
ところがある日、倭人の着物は右の襟が上に重ねられていたと聞き、大変驚きました。
現在の着物は、左の襟を上に重ねますし(右前と言います)、私が見る限り漢服では右前になっていましたので、ごく普通にそのようにイラストも描いていたのですが、倭国ではその逆だったというのです。
 
当時の服装を表しているものとして、まずは埴輪の画像を見てみましたが、確かに右の襟が上になっているようでした。
次に、高松塚古墳に描かれた「飛鳥美人」を見てみても、やはり右が上になっているように見てとれます。
古事記など、神話をテーマにした絵画を見ても、右が上になっているものが多く見受けられました。
確かに、古代の倭人は右襟を上に重ねて、着物を着ていたようです。
ただ、平安時代に入ると、左襟が上になるのが通例になります。
 
右前というのは、ルールでもありますが、実は理にかなっていて、懐(ふところ)に入れたものを右手で取り出すのに適しています。
以前少し調べたことがあるのですが、日本人は元来、手に荷物をぶら下げるという習慣はなく、小物は懐や袂(たもと)、帯の中などに収め、大きな荷物は抱えたり背負ったりするのが一般的だったそうです。
だとすると、古代人には懐に物を入れる習慣がなかったのか、それとも、左利きが一般的だったのか。
 
飛鳥時代の着物などは、どう見ても大陸の影響を強く受けているのに、右襟を上に重ね続けているところを見ると、この合わせ方には倭人にとって、何か意味やこだわりがあったに違いありません。(再現されている衣装の中には左襟が上になっているものもあります)
この謎について、研究されている方がいれば、一度詳しくお話を伺ってみたいものです。

 

 

後日、中国の歴史に詳しい方に伺った話によると、中国には左(東)を尊ぶという習わしがあり、そのため左の襟が上になるとのことです。

ところが、そのことを念頭に、古代中国鏡などに彫られた人物像の着物を見たところ、中国製の鏡でも右の襟を上にしたものもありました。

個人的には今のところ、襟の重ね方にもルールがあり、宗主国の許しを得ないと右前(左を上)にできなかったのでは?と考えています。

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