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  • 執筆者の写真長緒 鬼無里

遊女の生き様からみる日本人の死生観


先日、堺市にある「紙カフェ」さんで行われたイベントに参加させていただきました。

こちらは、紙製の雑貨店も併設されているカフェで、古墳に関するグッズも置かれているため、最近頻繁に足を運ぶようになりました。

今回のイベント名は『堺の遊郭企画Vol.2 紙カフェ&音遊 Planning 遊女達の春の宴』。

このカフェの近くには昔遊郭があったとのことで、遊女姿に扮して当時の女性たちの思いを偲ぶというのがイベントのコンセプトでした。

私自身は遊女姿にこそなりませんでしたが、参加するにあたって遊郭や遊女について無知なままではいけないと、自分なりに少し調べてみることにしました。

今回は、それにより新たに知り得たことと、すでに記憶にあった情報をもとに、思ったことや考えたことを書いてみたいと思います。

みなさんご存知かと思いますが、遊郭とはその昔、合法的に売春が行われていた区域のことです。

そこで身を売っていた女性たちが遊女。

当時は、正式に認められていた職業でした。

遊女というと一般的に「借金のカタに売られて身を売ることを強要される」といった暗なイメージと、花魁(おいらん)に代表されるような、豪華に飾り立てたきらびやかなイメージとがあるかと思います。

おそらくはそのいずれも、現実にあった遊女の姿なのでしょう。

同じ女性の立場からみると、身を売るという行為は、資格がいらない代わりに大変リスクの大きな商売です。

精神的負担は当然のことながら、避妊や性病の予防法が今よりずっと不確かであった時代。

命がけの仕事であったと言っても過言ではないと思います。

ただ、個人的には遊女に対して、単に「気の毒な女性」とか「人権意識の低かった時代の犠牲者」だとは言いたくありません。

それは、遊女に限らず昔の人々は、現代よりも皆命がけで日々を過ごしていたのではないかと想像するからです。

そして遊女自身も、自分の仕事にプライドを持って生きていた。

そのように思えてなりません。

一説には、遊女の起源は巫女ではないかとされています。

古代、占いが政治を動かしていた時代、巫女は神と交信できる唯一の存在として敬われていました。

けれど、神にかわり武力に勝る者が国を治めるようになると、彼女たちは立場を追われることになります。

もともと、歌や舞を奉納していた彼女らは、生きるためにその芸を生かすようになっていきます。

静御前でも有名な白拍子は、男装で芸を披露する女性のことですが、これも巫女を起源に持つとされています。

白拍子は武将たちの夜の相手もしており、彼女らが遊女の始まりではないかと言われています。

もちろん、生きるために身を売った女性も大勢いたかと思いますので、全ての遊女がそうであったとは言いません。

ただ、現代で例えるならシャーマンやアイドルといった、神がかり的なカリスマ性を備えた女性が存在していたのではないかと思うのです。

そんな彼女らの役目は、日々、死を覚悟するような戦いに直面している男たちの心を慰めること。

美しい歌や舞いにより固くなった心をほぐし、時には身を呈して相手を癒す。

そういう意味では、献身的に尽くす姿勢と博愛心を要する仕事であったような気がします。

遊女について調べていく中で、強く目を引かれた画像がありました。

それは、死んだ遊女の体が朽ち果てていく様子を克明に描いた絵です。

道端に放置され、犬に食われ、やがて骨になっていく。

これだけを見れば、哀れな女性の成れの果てとの印象を持つでしょう。

しかし、おそらくこの絵が描かれた時代には、このような光景はごくごく当たり前で、遊女だけに限ったものではなかったのではないでしょうか。

紙カフェの近くにあったとされる遊郭「乳守(ちちもり)遊郭」について調べていて、このようなエピソードにも付き当たりました。

室町時代、そこに一休さんで有名な一休和尚を師と仰いだ「地獄太夫」という遊女がいたそうです。

彼女は美も教養も備えた最高ランクの遊女でしたが、多くの遊女がそうであったように、若くして病に倒れます。

死期を悟った彼女は、一休和尚に「自分の亡骸は野に放ち、犬に食わせて腹を満たしてやって欲しい」と遺言します。

和尚は彼女の思いを尊重し、四十九日間、彼女の亡骸を放置し、その後荼毘(だび)に付します。

地獄太夫は生前、自分が今ある境遇は前世の因縁であると語り、「生まれ変わったら美しい仏になりたい」と祈っていたそうです。

そんな彼女にとって、朽ちていく己の姿を世に晒し、飢えた犬の腹を満たすのは、この世でできる最後の禊(みそぎ)であったのかもしれません。

和尚がその後、きちんと弔ったことを鑑みれば、決して彼女が粗末に扱われたのではないことがわかります。

想像の域は出ませんが、前出の遊女の死体を絵に残した絵師も、決して奇をてらったのではなく、「どんな美しい女性も、死ねばこのような骸(むくろ)になる」と訴えかけているような気がしています。

これは私の、「日本人の死生観」に対する個人的な推測に基きます。

現代の私たちにとって、死は少し遠いところにあります。

愛する人を亡くした時、多くの場合、焼場で見送ったあと次に目にするのは灰になった姿です。

だから何となく、その灰が愛した人の成れの果てであるとは繋がり難い。

そのせいとは限りませんが、「死んだとは思えない」となかなか前に進めない人もいます。

しかし、日々朽ち果てていく骸をまざまざと目にしていれば、「死ねばみんなこうなる」と、死をもっと身近に感じられるような気がするのです。

古事記に出てくるイザナギも、死んだ妻を追って黄泉の国へ行き、腐敗した彼女の恐ろしい姿を目にします。

このエピソードも、死んだ者はもう戻らないから、前を向いて生きていけと我々を諭しているような気がしてなりません。

「死んでしまえばおしまい」

こう言えば異論があるかもしれませんが、死と正面から向き合うからこそ、今ある命を大切にする。

これが日本人が長年培ってきた、死生観なのではないかなと思っています。

一方のエジプトのミイラなどは、復活を信じ、魂が帰ってきた時困らないようにと遺体を保存したものです。

死を否定するからこそ恐怖を感じ、偶像に心の拠り所を求める他の宗教に対し、死後は自然の一部に還ると考える神道。

そのあたりが、日本人特有の考え方のような気がしています。

話が少し飛躍してしまいましたが、その時代を必死に生き、そして死んでいった当時の人々の象徴として、この機会に遊女の生き様をしっかりと心に刻みたいと思います。

そして、イベントを企画されることで、このようなことを考えるきっかけをくださった紙カフェのオーナー松永さんに、心から感謝します。

参考サイト:のぶログ 堺ー乳守遊郭 消えた遊郭・赤線跡をゆく32

http://parupuntenobu.blog17.fc2.com/blog-entry-797.html

イメージ写真:フォトAC

https://www.photo-ac.com

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